【劇場版キングダム感想】嬴政の「器」と吉沢亮
こんにちは。こよみ(@Mm6xdgy)といいます。
普段はTwitterの育児アカウント界隈で「キングダム芸人」を自称し、未読勢への押し付けがましいプロモーションを行ったりしています。
さてこのたび実写映画版「キングダム」が封切りとなりましたが、初めてこの知らせを聞いたときは
RT 実写キャストに大怒りの私だけど、正直愛しかない作品なので、何とか興行的にも成功して欲しいし、「一時はどうなることかと思ったけど観に行って良かった」って言いたいし、例えば映画から入った人にもキングダムを読んでファンになって欲しい。
— こよみ (@Mm6xdgy) October 9, 2018
こんな感じで悶々としながら公開を待っていたものですが、劇場に足を運んですぐ、こうした心配は全て杞憂に終わりました。原作へのリスペクトやキャラクターへの愛を強く感じる作品となっており、応援上映や続編を今から心待ちにしているほどです。
願わくばひとりでも多くのかたが劇場に足を運び、原作に触れ、「キングダム」の世界の虜となりますように。そんな思いでブログを開設しました。
映画や本誌のネタバレを多く含むため、ご高覧にあたっては注意されたし。初回のエントリは、「政」と「漂」について書きました。
薄弱の秦王・嬴政の「器」
まずは原作を通じて、「政」について。未読の方のために、念のためあらすじを。これは映画版のあらすじですが、原作と差はありません。というか同じかな?
紀元前245年、春秋戦国時代、中華・西方の国「秦」。戦災孤児の少年・信と漂はいつか天下の大将軍になることを夢見て日々剣術の鍛錬を積んでいた。ある日、漂は王都の大臣である昌文君によって召し上げられ王宮へ。
王宮では王の弟・成きょうによるクーデターが勃発。戦いの最中、漂は致命傷を負うが、何とか信のいる納屋にたどり着く。「お前に頼みたいことがある」血まみれの手に握られていたのは、ある丘に建つ小屋を示す地図だった。「いますぐそこに行け! お前が羽ばたけば、俺もそこにいる…。信! 俺を天下に連れて行ってくれ…」そう言って力尽きる漂。漂が手にしていた剣とその地図を握りしめ、信は走り出した。
多くの方がご存知の通り、「政」とは秦の始皇帝。
初めて中華統一を成した王として知られていますが、政自らが死出の旅に出るその日まで背負い続けていくのは、自身の命を繋ぎ、自身の理想の実現のために散った数多の「命」です。名もなき誰かの、よく知る誰かの、おびただしい数の人生です。
これを一身に引き受ける覚悟、胆力。
ありていに言えば「王の器」といったところでしょうか。
「キングダム」において、政というキャラクターは比較的早期からメンタルバランスの安定した人格として描かれています。
王を王たらしめるもの
今回劇場版の舞台となった「王都奪還編」、本編では5巻までに相当します。
これを書いている時点で、キングダムは既刊54巻(2019年4月現在)。少なくとも、いま誌上で政が見ている「中華」は、当然のことながら、映画で政が夢見るビジョンよりも、もっと具体的に鮮やかに、ディテールの解像度を上げています。
政の「王の器」の色彩を決定的にしているもの――私はそれを、「死生観」だと捉えています。
中華を統べる唯一王、その原点
忌み子として、後の皇太子とは思えないほど不遇な少年時代を過ごし、一度は心を閉ざした政ですが、闇商・紫夏との出会いによって生きる理由を自ら再定義し、その心象風景に再び彩りを取り戻しました。
志半ばにして紫夏は命を落としますが、まさにその「尊い犠牲」と引き換えに、政の心に「王」の道が示されたと私は捉えています。
命がけの亡命の道中、放たれた刺客に追われ、絶体絶命の状況に陥りながらも、政の瞳は意志に満ち、秦への逃げ延びることに成功するのです。
紫夏の喪失は政にとって身を裂かれるより辛いものだったでしょうが、王騎も政に問いかけたように、後世に暴虐の王とその名を刻まれようと、理想郷の実現のために礎にした数多の命、これを全て引き受ける、まともな人間では気が狂いそうな「覚悟」の原点だったのではないでしょうか。
とにかく吉沢亮が凄かった
翻って映画版、吉沢亮さん演じる「政」について。
異母弟・成蟜の反乱によって王都を追われた政の影武者となり、伝説の六将・王騎将軍の追撃を受ける漂。
王として死んだ漂と、ついに王として歩み始めた政
「あの」王騎に追われて無事ではいられまいと絶望した臣下たちに、身代わり・影武者ではなく、「秦王・嬴政」として檄を飛ばし、戦意の大炎を再び燃え上がらせた漂。その美しくも猛々しい姿は、まさに「王」でした。
感動が醒めないうちに。原作への強いリスペクト、強い愛を感じる良作でした。身代わりでありながら確かに「王」として死んだ漂、仮初めでなく本物の王としてのスタートを切った政。丹念に丁寧に描かれており、マジで号泣しました。次回作楽しみにしてます。 #キングダム感想
— こよみ (@Mm6xdgy) April 21, 2019
漂の死、これは無駄でなかったのだと、単なる人身御供ではなかったのだと、作中では丹念に丁寧に描かれています。漂のシーン、何度も何度も泣いてしまった。
奴隷と王。見事な演じ分けに滲むプライド
その圧倒的な「演じ分け」に驚いたという観客も多かったのではないでしょうか。かくいう私もそのひとりでした。
漂の聡明さ、ひたむきさ、優しさの芯にある強さ。
政の気高さ、深遠さ、激情。
顔の造形は瓜ふたつなのに(劇場版では演者が同一なので、当たり前といえば当たり前ですが)、全く別の人格がスクリーンで躍動していました。インタビューの通り、並々ならぬ覚悟と熱意でもって二人を演じきったことが分かります(シネマトゥデイの他記事も良いのでお時間があればぜひ!)。
さて、吉沢さんが演じる「政」「漂」の何が、私の心を強く揺さぶったのか。
映画館に二度足を運んで確信したのは、吉沢さんが演じたのは、「紫夏に助けられて趙から逃げ延びた政」だから。これしかないと思います。原作と映画がまさに邂逅したのを見ました。ひとえに、製作陣の熱いリスペクトがあってこそ!
これを書きながら思い起こされるのは、まさに前述した政の亡命劇。吉沢亮さんの政は、まさに命を繋がれた記憶を持った政でした。
映画の150分で描かれるよりはるか以前の記憶を確かに宿した「政」が、観客の心臓をわしづかみにして強く揺さぶります。未読の方も、ファンの方も、ぜひ映画館で「キングダム」の世界にダイブしてください。
★上映映画館はこちらから:TOHO THEATER LIST/キングダムシアターリスト